寺院縁起
曹洞宗 医王山 林昌禅寺
伝承によれば、鎌倉時代末期の文保元年(1317年)、丹波から草伯という僧が行基作の薬師如来像を携えて久保原村に来た。久保原村の百姓の與作が草伯に帰依し、草庵を建てて奉仕したのが始まりとされる。
その後、村人たちの努力によって天台宗の醫王山 瑠璃光寺が建立された。
この薬師如来像が瑠璃光寺の本尊となり、後に林松寺(林昌寺)の本尊となった。
瑠璃光寺は、天文年間(1532~1555年)、兵火に罹り七堂伽藍が焼失した。
本尊の薬師如来は、古野川の岩窟に隠されたため無事であった。また焼け残った正観音と阿弥陀仏も共に、中西城(久保原城)主の遠山左京之進の母の実松宗貞禅尼が、瑠璃光寺の恵月坊の跡地に恵月庵を建てて祀ったが、天正2年(1574年)、武田勝頼の東濃侵攻の際に兵火に罹り恵月庵は焼失した。
寛永2年(1625年)、馬場山田にある盛久寺三世の龍山長雲が、瑠璃光寺の址に寺を建立して恵月庵にあった薬師如来を迎えて本尊とし、醫王山 林松寺と名付けて、龍山長雲の法嗣である舜山天暁を初代住持とした。林昌寺改名は、明治時代に入ってから。
住職挨拶
はじめまして。林昌寺住職の直樹(じきじゅ)でございます。
本来お寺は敷居の高いものではなく、みなさまがお悩みなどを気軽にお話しに来られる場所でした。林昌寺では入りやすいお寺、地域のみなさまに安心していただけるお寺を目指して、寺喫茶「且坐(さざ)」を併設しております。お気軽にご利用してください。小さなお悩みでも構いません。是非、当ページよりご連絡ください。
住職プロフィール
十二世 宮地直樹(じきじゅ)住職は、1967年伊勢志摩の漁師家に産まれ、大学にて心理学を学ぶ。後に東京の商社に勤め、28歳で出家。永平寺での修行を終えて、現在林昌寺住職となる。芸術家としての顔も持っており、粘土人形作家・紙芝居作家としても活躍中。その特殊な活動は、NHK「にっぽん紀行」ほか多くのメディアで取り上げられた。また、仏教紙 月間「住職」別冊の「こんなにもすばらしい10人の住職」にも選定されている。YouTubeでの法話も人気。
著書:講談社「夜の紙芝居」がある
NHK「にっぽん紀行」、CBC、東海テレビ、名古屋テレビで紹介され公演依頼が殺到!
忘れかけたものを取り戻し、人生に一番大切なことを教えてくれる。今、名古屋の夜の繁華街で話題の不思議な物語。
紙芝居の舞台はあなたの「心」です。
「仕事での挫折。大切な人との死別。大失恋。様々な苦労を積み重ねてきたからこそ、今、向き合える自分がここにいる。(中略)良いとされる経験も悪いとされる経験も、そこにそんな区別はないのです。より素敵な未来を望むのであれば、いかなる過去をも捨て去ってはいけません。いかなる今をも捨て去ってはいけません。」――<本文より抜粋>
寺院概要 | |
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寺院名 | 医王山 林昌寺(いおうざん りんしょうじ) |
宗派 | 曹洞宗 |
住所 | 〒509-7601 岐阜県恵那市山岡町久保原388 google map |
電話番号 | 0573-56-2089 |
HP | https://rinshouji.com |
交通案内 | 明智線『山岡』駅から徒歩25分 タクシーで4分 お車の場合 中央自動車道『瑞浪』IC出口から30分 『恵那』IC出口から20分 | 電車の場合